常勝ジャイアンツ&野球ニュース

昔から大好きなジャイアンツ(野球全般)を応援したくて開設したブログです。ジャイアンツ情報と気になる野球情報をお届けします。

    2018年08月



    (出典 www.suruga-ya.jp)



    1 ひかり ★ :2018/07/27(金) 22:06:51.59 ID:CAP_USER9.net

     「巨人5-0中日」(27日、東京ドーム)

     巨人・山口俊投手が、プロ野球史上79人目(80度目)のノーヒットノーランを達成。
    快挙をアシストしたのが6月28日以来、約1カ月ぶりにスタメンマスクをかぶった小林誠司捕手だった。

     直球を主体にした配球で、ベース盤をいっぱいに使って中日打線を寄せつけず。緊張感あふれる九回は
    代打・亀沢、代打・野本をいずれも内野ゴロに仕留めて2死。最後は大島を一ゴロに仕留めると、
    小林も満面の笑みで山口俊と抱き合った。

     小林はベンチ裏で「僕は何もしていません。今日は山口さんが全て」と控えめ。だが、山口俊は
    「今日は本当に誠司が引っ張ってくれた。サイン通りに投げることができた」と振り返った。

     両リーグを通じて14年の西武・岸(現楽天)以来、4年ぶり。セ・リーグでは13年の中日・
    山井以来5年ぶり38人目。巨人では2012年の5月30日、杉内以来6年ぶり12人目の快挙となった。

    デイリースポーツ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180727-00000165-dal-base

    (出典 amd.c.yimg.jp)


    打てるキャッチャーになれ
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    (出典 www.holg.jp)



    1 風吹けば名無し :2018/07/31(火) 14:18:52.30 ID:MgMHw/wE0.net

    高校時代、白球を追って汗を流した自民党筆頭副幹事長の小泉進次郎氏(37)。時代の流れによって高校野球にも変化が必要だと力説する。【取材=中山知子、千葉修宏】

     野球人口の減少が顕著になっている。

     小泉氏(以下小泉) うちの地元もチーム編成が大変ですよ。どんどんチームが合併、そして減少している。今まで日本の国民的スポーツっていうのが野球の代名詞だったじゃないですか。そこにあぐらをかいてはいけない。

     何か対策は。

    小泉 この前テレビを見ていたら、ある地域で子どもたちが小学校で野球をやっていても中学に行ったら部活に入ってくれない。
    なんでかと聞いてみたら「丸刈りにするのが嫌だ」と。よく分かりますよ。僕も抵抗しましたもん。1度、大人に聞いてみたいと思ったこともある。
    「丸刈りにしたらうまくなる理由を教えてください」って。


    影響力あるの?
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    (出典 pbs.twimg.com)



    1 ほニーテール ★ :2018/07/31(火) 08:30:37.97 ID:CAP_USER9.net

    全国屈指の激戦区といわれた大阪では、1960年代から1980年代にかけて、私学七強がその覇を競い合う戦国時代があった。

    興国、明星、浪商(現・大体大浪商)、近大附属、北陽(現・関大北陽)、大鉄(現・阪南大高)。そして、全国制覇7度を誇るPL学園──。

     かつて甲子園を沸かせたいずれの私立も、甲子園から遠のいて久しい(2008年夏の近大附が最後)。没落した七強の象徴が、2年前に野球部が消滅してしまったPL学園だろう。

    「僕らの時代は甲子園を勝ち抜くことよりも、大阪を勝ち上がることの方が難しかった」

     そう語るのは、中日ドラゴンズで活躍した立浪和義だ。1978年に“逆転のPL”で初めて夏の全国制覇を果たし、2学年上にあたるKK(桑田真澄、清原和博)が甲子園に連続出場していた当時、PLは黄金期を迎えていた。一度は大商大堺への進学を決めていた立浪は、高校受験の土壇場で、どこより生存競争の厳しいPLに進路を変更した。

    「当時、PLには選ばれた選手しか入れなかった。そのPLに声をかけてもらったのだから、行くしかないな、と。僕らは桑田さん、清原さんらのチームと比較されていましたから、負けられないというプレッシャーは常にありました」

     立浪が主将となった1987年、PL学園は春夏連覇を達成する。野村弘(弘樹に改名)や橋本清ら、3人の投手を惜しみなく投入し、圧倒的な戦力で日本一を達成した。複数投手制を敷いた戦いぶりは、現代野球の先駆けといえる。

     その後、KKや立浪、福留孝介らがプロで活躍する一方、PL学園の母体であるPL教団は、野球部の後ろ盾でもあった2代教祖・御木徳近(1982年逝去)という求心力を失い、それに伴う信者の減少によって、野球部への支援は以前より減ってしまう。

     2000年代に入ると、度重なる不祥事の発覚によって、PL野球の背景にある理不尽な先輩・後輩の関係、暴力体質が明るみに出て、信頼は失墜した。全国の球児のPLに対する憧れが、1990年代以降に台頭してきた大阪桐蔭や履正社に移っていく。

    >>2に続く
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180731-00000002-pseven-spo&p=2


    あのユニフォーム懐かしいな
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