第12回U18アジア選手権(9月3日開幕・宮崎)に出場する侍ジャパン高校代表合宿第3日が27日、都内近郊のグラウンドで行われた。
この日は実戦感覚を養うため、立教大との練習試合。7イニング制で行われた試合は0-1の五回、大阪桐蔭・中川(3年)の2点適時打などで3点を奪い逆転。浦和学院・渡辺(3年)から7投手の継投で、3-1で勝利した。
六回は大阪桐蔭・根尾が三者凡退、七回は大阪桐蔭・柿木が3者連続三振で締めた。金足農・吉田の登板はなく、一塁ベースコーチを務めた。
スタメンは以下の通り。
1番・遊撃 小園(報徳学園)
2番・左翼 峯(創成館)
3番・三塁 中川(大阪桐蔭)
4番・中堅 藤原(大阪桐蔭)
5番・右翼 蛭間(浦和学院)
6番・DH 野尻(木更津総合)
7番・二塁 奈良間(常葉大菊川)
8番・捕手 小泉(大阪桐蔭)
9番・一塁 日置(日大三)
投手 渡辺(浦和学院)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180827-00000061-dal-base
タグ:大阪桐蔭
大阪桐蔭選手の一言で更に学校が一つにまとまった!
第100回全国高校野球選手権記念大会(日本高野連、朝日新聞社主催)で優勝し、史上初の2度目の甲子園春夏連覇を果たした大阪桐蔭(北大阪)の優勝報告会が24日午後、大阪府大東市の同校であった。大阪桐蔭中・高校の生徒約1600人が快挙を祝った。
報告会では、西谷浩一監督(48)に続き、深紅の大優勝旗を持った主将の中川卓也君(3年)ら選手が大声援に迎えられて入場。西谷監督は「2018年の夏を大阪桐蔭の夏にしようといっていた。素晴らしい夏になった」とあいさつ。中川君は「日本一になれたのは、日本一の応援団がいたから」と感謝した。
また、吹奏楽部が選手の応援歌を披露するなどして盛り上がった。2回戦以降はすべて応援したという中原瑠花さん(高2)は「試合中は真剣な表情ばかり。近くで笑顔が見られてうれしかった」と興奮気味で話していた。
選手たちは続いて大東市役所や大阪府庁も訪れ、優勝を報告した。(遠藤隆史)
8/24(金) 17:18配信 朝日新聞デジタル
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180824-00000051-asahi-spo
大阪桐蔭根尾の小さい頃の夢はプロ野球選手じゃなかった
◇第100回全国高校野球選手権記念大会最終日・決勝 大阪桐蔭13―2金足農(2018年8月21日 甲子園)
今秋ドラフト1位候補の投打二刀流、大阪桐蔭・根尾昂内野手(3年)は今後の進路について「上の世界ではショートで勝負したい」と言い切った。
U18日本代表に選出されたが、高校野球は今大会が一つの区切り。スキーで国際大会に出場した実績を誇るが「スキーに未練はありません」。父・浩さん、母・実喜子さんはともに診療所の医師だが「医者の選択肢はないです」と話す。
同1位候補の藤原に加え、最速151キロ右腕・柿木、同144キロ左腕・横川の計4人がプロ志望届を出す予定だ。ドラフト同一年の最多指名は1977年の法大など5人。高校からは66年2次ドラフトの中京商、平安、76年の崇徳、01年の日大三の4人が最多だ。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180822-00000065-spnannex-base
名将木内幸男氏が冷静に100回記念大会を分析 決勝戦のポイントを振り返る
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/08/22/kiji/20180821s00001002397000c.html
スポニチの題字に(ヤンキースの)田中君が「氣持ち」と書いている。まさにその言葉が勝敗を左右した決勝だった。
2度目の春夏連覇か、東北勢初優勝か。どちらも偉業のかかった一戦で、金足農の吉田君はいつものように心穏やかに投げられなかった。
いきなり招いた初回無死一、三塁の大ピンチ。3、4番を連続三振に斬った吉田君は5番・根尾君に対して感情が入り過ぎた。
準決勝までは「自分のボールを投げれば打たれない」と開き直って抑えてきたが、ピンポイントでコースを狙って四球。
力勝負に行った結果、満塁として相手に攻めやすくしてしまった。暴投と二塁打で3失点。
石川君に打たれた二塁打は完全に外角を狙われたもので、ピンチでも平然と投げる姿が消えていた。
全試合投げてきた疲れは当然ある。「相手は大阪桐蔭」という思いも普通の状態でなくしていた。味方が3回に反撃の1点。
気持ちの入った直球はまだまだ打者を押し込んでいたが、4回1死一、二塁では揺れ動く気持ちがボールから威力を奪っていた。
宮崎君に3ランを打たれ、6失点した5回で降板。この夏初めてマウンドを降りた吉田君は帽子を少し深く、顔を隠すようにかぶっていた。
彼の心の優しさが表れていたシーンだった。
力量が上回る相手との対戦は「勝とう」と思うと難しくなる。ミスはできないと、どうしてもプレーが小さくなるからだ。
取手二の監督だった84年夏。KKコンビのPL学園との決勝で、
選手たちに「桑田は3連投したことないかんな。今日は打てっど」と言ってやった。「勝とう」ではなく「打てる」と。
実は6月の招待試合で桑田君に1安打零敗をしていて、その悪いイメージを払しょくしたかった。準々決勝からの3連投目。
疲れが出るから桑田君を打てると信じさせた。
私の野球は「木内マジック」と称されるが、いわゆる「弱者の兵法」だった。子供たちの性格を知り、気持ちを乗せて力を引き出す。
高校生はこの気持ちが最も重要でプレーに直結する。ダルビッシュ投手の東北に勝った03年夏の決勝。
「勝ったら、将来子供に自慢できっぞ」と言って本当になった。気持ちというのは、信じられない力を発揮させるし、持てる力を出せなくさせてしまう。
平常心で力を発揮した大阪桐蔭は文句なく日本一のチーム。吉田君に対し、ミートを意識してコンパクトに強く叩く打法で確実に攻略した。
こんな打撃をされたら、高校生では抑えられない。勝ち方を知り、負けない土台を築いた西谷監督は見事と言うほかない。
この夏、決勝まで全55試合を見せてもらった。大阪桐蔭の牙城は揺るがないと感じた一方、東北勢の初優勝はそう遠くないとも感じた。
34年前の甲子園、準々決勝前の練習場で取手二と入れ違ったのが金足農。
「公立の農業高校が、地元の子でどうやって勝ってきたのか」と思ったのが懐かしい。
バントを多用する中泉監督は、近代野球にとらわれず“古き良きもの”を残していて、どこか私の野球に似ている。
打撃優位の今、これだけバントしての準優勝。東北地方からは大谷(エンゼルス)、菊池(西武)ら好投手も次々と生まれている。
101回目の夏も楽しみだ。 (元常総学院監督) =終わり=
◆木内 幸男(きうち・ゆきお)1931年(昭6)7月12日生まれ、茨城県土浦市出身の87歳。
土浦一で外野手として活躍し、卒業後も母校の指導を続けて53年に監督就任。
57年に取手二の監督に招へいされ、84年夏に桑田、清原の「KKコンビ」のPL学園を破って初の全国制覇。
翌85年に常総学院の監督に就任し、01年センバツ優勝。03年夏の日本一を花道に一度勇退したが、07年に復帰。11年夏を最後に現場を退いた。
歴代6位の甲子園監督通算40勝。
大阪桐蔭根尾を一位指名すると公言した球団とは?
中日が21日、今秋のドラフト会議で大阪桐蔭高の根尾昂遊撃手(18)を1位指名することが確実となった。
大阪桐蔭は、第100回全国高校野球選手権大会決勝で、金足農(秋田)に13-2で勝ち、史上初2度目の春夏連覇を達成。
根尾は5回に今大会3本目の2点本塁打を放ち、優勝に貢献した。
中日は高校通算30本塁打の強打と最速148キロを計測する強肩を高く評価。
岐阜県飛騨市出身の地元出身でもあるスター候補生の獲得に狙いを定めた。
地元出身、そして甲子園のスターを放っておくわけにはいかない。
中日がこの日までに、今秋のドラフト会議で根尾を1位指名することを内定。
大阪桐蔭の2度目の春夏連覇で幕を閉じたこの日、取材に応じた西山和夫球団代表は
「誰とは言わないが、方針は決まっている」と明言こそしなかったが、根尾の最上位指名が有力となった。
というのも、早くから根尾を1位の筆頭候補に挙げていた。
西山球団代表はかねて「力が同じなら地元優先」と話しており、根尾は岐阜県飛騨市出身。
異例の徹底マークも続けてきた。甲子園では初戦の作新学院戦に続き、2回戦の沖学園戦も
松永幸男編成部長を含むスカウト全12人態勢で視察。
例年は初戦のみで後にするだけに、1大会2度目の視察は高い評価の表れだった。
根尾は177センチと大柄ではないが、最速148キロの強肩、高校通算30本塁打の長打力に、50メートル走6秒1の俊足。
中学時代にスキーで日本一となった強靱(きょうじん)な足腰を生かした遊撃の守備にも定評がある。
持ち前の高い身体能力を生かし、甲子園でも好守を連発。投攻守で優勝に大きく貢献した。
今年打ち出した地元重視のチーム方針にも合致し、知名度を考えれば営業面でも大きな期待ができる。
中日スポーツ
http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201808/CK2018082202000117.html