常勝ジャイアンツ&野球ニュース

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    タグ:廃部



    (出典 www.news-postseven.com)



    1 3倍理論 ★ :2018/09/12(水) 07:05:27.87 ID:CAP_USER9.net

     全国優勝経験のあるPL学園高(大阪府富田林市)軟式野球部が、休部中の硬式野球部に続いて存続の危機を迎えている。選手が9人を下回り、今月開幕した秋季近畿地区大阪大会の出場を辞退した。甲子園で春夏通算7回優勝の硬式と同様に、軟式も夏の全国選手権に11回出場して優勝1回の強豪だが、生徒数減少の影響で部員不足に陥っている。

     「過去のプライドも実績も捨てて、どん底からはい上がろう」。今月上旬の同校軟式野球場で、就任33年目の斎藤大仁監督(57)は選手たちを集めて語りかけた。チームは今夏の全国選手権大阪大会で決勝に進んだが、河南に0-5で敗れて準優勝。3年生8人が引退すると、1、2年生は8人しかいなかった。秋季近畿地区大阪大会には前回王者ながら出場できなかった。

     1967年に創部されてOBの斎藤監督の就任後に強化が進み、全国選手権には89年に初出場で準優勝。2001年には大阪勢唯一の全国制覇を果たし、05年から4年連続出場を果たした。昨夏に全国選手権に4年ぶり11回目の出場を飾り、今年も春季近畿地区大阪大会を制するなど好成績を残した。

     それにもかかわらず、部員不足となった背景には、全校生徒数の減少がある。80年代には1000人以上の生徒が在籍したが、大阪府教育庁によると、今年度(5月時点)は164人。入学者は120人の募集に対して55人にとどまった。斎藤監督は「この状況は夢にも思わなかった」と打ち明ける。

     ただし、今月に入ってから他部からの転入者があり、部員数は9人に増えて練習試合が可能になった。本多学主将(2年)は「人数は少ないが、頼れるメンバーがいる。春にはいいチームを作って大会に戻る」と誓う。大阪府高校野球連盟の多田真己・軟式部委員長は「大阪での合言葉は『打倒PL』だった。PLがいないと、他校も張り合いがないだろう」と指摘する。

     ユニホームのデザインは硬式と同じ。校歌に歌われる「永遠(とわ)の学園」の復活を待ち望む声は多い。【長宗拓弥】

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00000017-mai-base

    かなり寂しい
    【PL学園軟式野球部の存続危機が話題に! もうあのユニフォームは一生見れない?】の続きを読む



    (出典 pbs.twimg.com)



    1 ほニーテール ★ :2018/07/31(火) 08:30:37.97 ID:CAP_USER9.net

    全国屈指の激戦区といわれた大阪では、1960年代から1980年代にかけて、私学七強がその覇を競い合う戦国時代があった。

    興国、明星、浪商(現・大体大浪商)、近大附属、北陽(現・関大北陽)、大鉄(現・阪南大高)。そして、全国制覇7度を誇るPL学園──。

     かつて甲子園を沸かせたいずれの私立も、甲子園から遠のいて久しい(2008年夏の近大附が最後)。没落した七強の象徴が、2年前に野球部が消滅してしまったPL学園だろう。

    「僕らの時代は甲子園を勝ち抜くことよりも、大阪を勝ち上がることの方が難しかった」

     そう語るのは、中日ドラゴンズで活躍した立浪和義だ。1978年に“逆転のPL”で初めて夏の全国制覇を果たし、2学年上にあたるKK(桑田真澄、清原和博)が甲子園に連続出場していた当時、PLは黄金期を迎えていた。一度は大商大堺への進学を決めていた立浪は、高校受験の土壇場で、どこより生存競争の厳しいPLに進路を変更した。

    「当時、PLには選ばれた選手しか入れなかった。そのPLに声をかけてもらったのだから、行くしかないな、と。僕らは桑田さん、清原さんらのチームと比較されていましたから、負けられないというプレッシャーは常にありました」

     立浪が主将となった1987年、PL学園は春夏連覇を達成する。野村弘(弘樹に改名)や橋本清ら、3人の投手を惜しみなく投入し、圧倒的な戦力で日本一を達成した。複数投手制を敷いた戦いぶりは、現代野球の先駆けといえる。

     その後、KKや立浪、福留孝介らがプロで活躍する一方、PL学園の母体であるPL教団は、野球部の後ろ盾でもあった2代教祖・御木徳近(1982年逝去)という求心力を失い、それに伴う信者の減少によって、野球部への支援は以前より減ってしまう。

     2000年代に入ると、度重なる不祥事の発覚によって、PL野球の背景にある理不尽な先輩・後輩の関係、暴力体質が明るみに出て、信頼は失墜した。全国の球児のPLに対する憧れが、1990年代以降に台頭してきた大阪桐蔭や履正社に移っていく。

    >>2に続く
    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180731-00000002-pseven-spo&p=2


    あのユニフォーム懐かしいな
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    1 胸のときめき ★ :2018/06/15(金) 08:45:18.63 ID:CAP_USER9.net

    群馬県立万場高(神流町生利、金井誠治校長)で硬式野球部の廃部が決まったことが14日、分かった。昨年夏以降、部員がおらず活動を休止していた。
    学校が存続したまま、県内の高校野球部が廃部となるのは異例。四半世紀の活動に終止符を打ち、地元からは「寂しい」と惜しむ声が上がっている。

     昨年夏の全国高校選手権群馬大会に4校連合チーム(尾瀬、下仁田、万場、長野原)の選手として出場した3年生1人が引退した後、下級生の部員は
    おらず休部状態になった。今春の新入生48人(うち男子30人)からも入部者がなかった。

    https://www.jomo-news.co.jp/sports/hsb/59345


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