常勝ジャイアンツ&野球ニュース

昔から大好きなジャイアンツ(野球全般)を応援したくて開設したブログです。ジャイアンツ情報と気になる野球情報をお届けします。

    タグ:引退



    1 砂漠のマスカレード ★ :2018/09/19(水) 07:39:33.63 ID:CAP_USER9.net

    巨人の脇谷亮太内野手(36)が、今季限りで現役引退する意向を固めたことが18日、分かった。近日中にも正式発表し、会見する見込み。
    「8月に1軍に呼ばれなかった時に、『そろそろなのかな』と思っていました。若い選手たちを、純粋に応援している自分がいました」と明かした。

    天国も地獄も味わい、濃密な13年間だった。「(思い出は)たくさんありすぎて、一つに絞れません」。
    プロ2年目、07年9月26日の中日戦(東京D)では決勝2ランをたたき込み、5年ぶりのリーグ優勝をグッと引き寄せた。
    09年までのリーグ3連覇を支えた一方、11年オフには右肘じん帯再建手術を受け、育成選手として背番号「023」で再出発。
    13年開幕戦の広島戦(東京D)では逆転の決勝打を放ち、見事に復活した。FAの人的補償により、14年からは西武で2年間プレー。
    内外野を守ったほか、強力打線の中で3番を任されたこともあった。

    巨人の新入団選手発表でV字型にならんで記念撮影する10人の新人選手。
    (左から)深田拓也、脇谷亮太、越智大祐、栂野雅史、福田聡史、辻内崇伸、加登脇卓真、会田有志、梅田浩、山口鉄也。中央は原辰徳監督
    そして15年オフ。師匠と慕う高橋由伸新監督が就任すると、FAで巨人に復帰した。
    16年は1軍と2軍を行き来する日々だったが、8月23日の広島戦(東京D)で延長10回にサヨナラ弾。
    ベンチで誰かに背後から思い切り頭を殴られた。それは満面の笑みを浮かべた由伸監督だった。
    「僕がプロに入って、『プロ野球とは何か』ということを一から教えてもらった。
    言葉で言い表せないくらい感謝しています」。ひたむきに野球と向き合う姿は先輩から愛され、後輩からは慕われた。
    歴史と伝統を背負う重みを知り、伝えてきた脇谷。ユニホームを脱ぐ最後の最後まで、その流儀を貫く。

    ◆脇谷 亮太(わきや・りょうた)1981年11月4日、大分市生まれ。36歳。
    柳ケ浦高から日本文理大、NTT西日本を経て2005年大学生・社会人ドラフト5巡目で巨人入団。
    11年オフに右肘じん帯再建手術を受け、12年は育成選手として契約。13年支配下選手に復帰。
    14年には片岡のFA人的補償で西武移籍。177センチ、77キロ。右投左打。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180919-00010000-spht-base
    9/19(水) 4:00配信


    (出典 prt.iza.ne.jp)


    http://npb.jp/bis/players/13115112.html
    成績


    (出典 Youtube)

    2011年4月20日 阪神対巨人 ブラゼルアウト判定

    お疲れ様でした
    【巨人の名脇役が今シーズン限りで引退! いい選手だった!】の続きを読む



    1 砂漠のマスカレード ★ :2018/09/16(日) 02:31:23.85 ID:CAP_USER9.net

    (セ・リーグ、阪神4-6ヤクルト、21回戦、ヤクルト11勝10敗、15日、甲子園)

    打席へ向かう「1」の後ろ姿に、この日一番の歓声が降り注ぐ。
    七回二死一塁、決して逆らわず、鳥谷らしく鮮やかに弾き返した打球が、左翼手の右へスーッと伸びた。
    虎の生え抜き歴代1位の藤田平に「あと2」まで迫る爽快な当たりで、虎党の留飲を少しだけ下げた。
    通算2062安打目となる、適時二塁打だ。

    ナインが苦しめられ続けてきた、右下手から繰り出される山中のボールを、代打で一閃。
    ベンチからイメージをしていたのかと問われ「別にイメージはしていないです」とだけ淡々と語った。
    逆転劇にはつなげられなかったが、さすがの一打に場内は沸きに沸いた。

    前日14日の同戦でも代打で左前打で、チームの2安打目を放っていた。
    8月30日のヤクルト戦(甲子園)以来スタメンから離れているが、代打で価値ある2戦連続安打を放ち、また状態を上げてきた。
    長打を放つのも8月18日のヤクルト戦(神宮)での今季1号以来、出場14試合&32打席ぶりだった。

    これで通算2062安打で歴代37位の谷沢健一に並んだだけでなく、二塁打でも歴代45位の阿部(巨人)、清原和博の「345」に並んだ。
    チームを勢いづかせて、通算2064安打で虎の生え抜き史上1位の藤田平にも一気に迫りたい。

    この苦境を救い、虎党の胸を躍らせてくれるのは、やはり虎を支え続けてきた鳥谷だ。

    http://news.livedoor.com/article/detail/15311863/
    2018年9月15日 20時21分 サンケイスポーツ


    (出典 image.news.livedoor.com)


    http://npb.jp/bis/players/21925119.html
    通算成績

    http://npb.jp/bis/history/ltb_h.html
    安打 【通算記録】

    阪神一筋か
    【阪神・鳥谷が球団記録に迫る! そろそろ限界との声も高まる…】の続きを読む



    (出典 static.kanaloco.jp)



    1 すらいむ ★ :2018/09/13(木) 11:54:40.43 ID:CAP_USER9.net

    「松坂世代」NPB最多勝の杉内が引退 現役投手は7人、名球会入りは厳しいか

     3年間1軍での登板がなかった巨人、杉内俊哉が引退を表明した。
     右股関節、左肩に重い故障を抱え、リハビリを行う日々だったが、再びマウンドに立つことはかなわなかった。

     杉内は1980年度生れの「松坂世代」の1人。鹿児島実業卒。
     フラッグシップといわれる横浜高出身の松坂大輔とは、1998年夏の甲子園で対戦するなど、ライバルとして競い合った。

     松坂は1998年のドラフトでプロ入りしたが、杉内は三菱重工長崎を経て2001年のドラフトでダイエー入り。
     2005年には18勝で最多勝、防御率2.11でMVPにも輝いている。
     2012年に巨人入りし、4年間は活躍したが、ここ3年は1軍での登板はなかった。

     杉内は「松坂世代」ではNPB最多の142勝を挙げている。
     この世代からは50人の投手がプロ入りした。その成績を見ていこう。

    (以下略、続きはソースでご確認下さい)

    フルカウント 2018年9月13日 11時16分
    http://news.livedoor.com/article/detail/15299251/

    平石が監督だもんな
    【松坂世代が次々引退! しかし不名誉な記録も作ってしまう?】の続きを読む



    (出典 trend-trend-hothot.com)



    1 THE FURYφ ★ :2018/09/12(水) 20:02:06.79 ID:CAP_USER9.net

    巨人・杉内の引退発表を受け、中日の松坂大輔が12日、高校時代からしのぎを削ってきた同級生左腕への思いを語った。
    阪神戦を前に思い出が詰まった阪神甲子園球場で取材に応じた松坂は「高校時代に甲子園で対戦してから、ずっと強く
    意識してきた仲間。自分の中で最高のライバルだった」と振り返った。

    2人は20年前の夏、松坂を擁する横浜が春夏連覇した第80回全国高校選手権の2回戦で対戦。1回戦で無安打無得点試合を
    記録した鹿児島実の杉内と松坂は中盤まで互いに譲らなかったが、最後は松坂の本塁打もあって横浜が勝利した。

    卒業後はドラフト1位で西武に入団した松坂に対し、社会人野球を経てプロの道へ進んだ杉内。同じパ・リーグでともに
    切磋琢磨(せっさたくま)し、日本代表でも2000年シドニー五輪に出場し、06、09年のワールド・ベースボール・クラシックでは
    2連覇に貢献した。松坂は「同じ時代に杉内俊哉というピッチャーがいたから、僕は頑張ってくることができた」と、その存在の
    大きさを言い表した。

    引退記者会見を前に杉内と電話で話した松坂。「ありがとう。お疲れ様でした。僕はもう少し頑張るよ」と伝えると、杉内から
    「あと5年は投げてくれ」と伝えられたという。「松坂世代」と呼ばれた仲間の思いを受け、今季12年ぶりに日本球界で白星を
    挙げた松坂は「少しでも長く投げられたら」と現役続行に意欲を示した。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00000090-mai-base

    甲子園で対戦してるもんな
    【中日・松坂大輔がライバルと認めた男の花道を飾る?】の続きを読む



    1 湛然 ★ :2018/09/12(水) 05:35:28.01 ID:CAP_USER9.net

    9/12(水) 5:00 スポニチアネックス
    巨人・杉内 今季限り引退へ 負傷離脱して3年…「体、もう、限界でした」

     巨人・杉内俊哉投手(37)が今季限りで現役を引退することが11日、分かった。05年に沢村賞を獲得するなど、現役2位となる通算142勝をマークし一時代を築いた左腕だが、15年オフに手術した右股関節に加え、近年は左肩痛にも苦しめられた。17年間の現役生活を回想し、スポニチ本紙に独占手記を寄稿。背番号18のユニホームを脱ぎ、近日中に都内ホテルで会見を行う。

     17年間のプロ野球人生に別れを告げるときがきました。これまでの僕の野球人生に関わってくださったすべての方々に感謝しています。そして、どんなときでもたくさんのご声援をくださったファンの皆さま、本当にありがとうございました。折れそうな心を、何度も支えてくれました。

     引退の理由は体です。もう、限界でした。ホークス時代に痛め、じわじわと悪化していった右の股関節に、それをかばいながら投げていたことで左肩にも痛みが出ました。15年途中に1軍を離れてから、約3年間、1軍のマウンドを目指してきましたが、上がることはできませんでした。

     昨年のオフには、球団として支配下登録から外し育成選手として契約する選択肢もあったと思います。それでも、僕の背番号18への強いこだわりを理解し、支配下登録のままで復活することを待ち続けてくれました。周囲からの批判もあったと思います。マウンドで恩返しすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

     ホークスと巨人、2チーム、2つのリーグでプレーすることができました。両チームで日本一を達成しましたし、数多くの思い出があります。たくさんの出会いにも恵まれました。ホークスでは王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)の下で一緒に戦うことができました。巨人に移籍することを電話で報告した際に「巨人の野球を勉強してきなさい。頑張って」と快く送り出してくださった言葉は、今でも耳に残っています。

     巨人では長嶋茂雄終身名誉監督に投球を見ていただくことができました。移籍1年目のキャンプでブルペン投球を視察し「その背番号(18)でチームを引っ張ってくれ」と声を掛けてくださいました。体を触られ、声を掛けてくださったときには鳥肌が立ちました。日本球界の象徴である「ON」の下で野球をできたことは、僕の人生の誇りです。

     印象深いゲームは2つあります。ホークス時代の2010年9月25日に札幌ドームでダルビッシュと投げ合い、1―0で完封勝利を収めた試合。直前までふがいない投球が続いていたため、試合後に感極まって泣いてしまいました。そして巨人時代の2012年5月30日、交流戦の楽天戦で田中将大と投げ合い、東京ドームでノーヒットノーランを達成した試合です。両方の試合で素晴らしい投手と投げ合い、勝つことができたので、達成感は大きかったです。

     最後になりますが、家族がいなければ、ここまで続けることはできなかったと思います。改めて「ありがとう」と感謝の思いを伝えたいです。子供には、もう一度、マウンドで投げる姿を見せてあげたかったですが、次の夢、目標に向かっていく父親の姿を見せることができればいいなと思っています。(読売巨人軍投手・杉内 俊哉)

     ◆杉内 俊哉(すぎうち・としや)1980年(昭55)10月30日生まれ、福岡県出身の37歳。

    (以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


    背番号18に手をかざし、見つめる杉内。今季限りでユニホームを脱ぐ決断をした(撮影・荻原 浩人)

    (出典 amd.c.yimg.jp)


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00000006-spnannex-base

    よく頑張りました
    【巨人・杉内がエースナンバーを託す男とは?】の続きを読む

    このページのトップヘ