常勝ジャイアンツ&野球ニュース

昔から大好きなジャイアンツ(野球全般)を応援したくて開設したブログです。ジャイアンツ情報と気になる野球情報をお届けします。

    タグ:春夏連覇



    (出典 img01.hida-ch.com)



    1 鉄チーズ烏 ★ :2018/08/24(金) 18:33:00.52 ID:CAP_USER9.net

     第100回全国高校野球選手権記念大会(日本高野連、朝日新聞社主催)で優勝し、史上初の2度目の甲子園春夏連覇を果たした大阪桐蔭(北大阪)の優勝報告会が24日午後、大阪府大東市の同校であった。大阪桐蔭中・高校の生徒約1600人が快挙を祝った。

     報告会では、西谷浩一監督(48)に続き、深紅の大優勝旗を持った主将の中川卓也君(3年)ら選手が大声援に迎えられて入場。西谷監督は「2018年の夏を大阪桐蔭の夏にしようといっていた。素晴らしい夏になった」とあいさつ。中川君は「日本一になれたのは、日本一の応援団がいたから」と感謝した。

     また、吹奏楽部が選手の応援歌を披露するなどして盛り上がった。2回戦以降はすべて応援したという中原瑠花さん(高2)は「試合中は真剣な表情ばかり。近くで笑顔が見られてうれしかった」と興奮気味で話していた。

     選手たちは続いて大東市役所や大阪府庁も訪れ、優勝を報告した。(遠藤隆史)


    8/24(金) 17:18配信 朝日新聞デジタル
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180824-00000051-asahi-spo

    自分は二の次精神素晴らしい
    【大阪桐蔭選手の一言で更に学校が一つにまとまった! 】の続きを読む



    (出典 media.image.infoseek.co.jp)



    1 ほニーテール ★ :2018/08/22(水) 15:55:32.66 ID:CAP_USER9.net

     第100回全国高校野球選手権記念大会で、史上初の2度目の春夏連覇を達成した大阪桐蔭の選手が22日、大阪市内で取材に応じた。来春センバツでの史上初となる春3連覇と3季連続Vに向けて、早くも23日に練習試合を行う。

     西谷浩一監督(48)は「今日から新チームの練習もしますし、バタバタしています。春も夏も大きな旗を持っていますので、新チームの主将1人で返すことはできない」と、気持ちを切り替えた。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180822-00000064-sph-base

    履正社が黙ってないぞ
    【大阪桐蔭の新チームが既に始動 史上初の3季連続優勝を狙う】の続きを読む



    (出典 www.sanspo.com)



    1 ばーど ★ :2018/08/21(火) 19:20:58.34 ID:CAP_USER9.net

    <全国高校野球選手権:大阪桐蔭13-2金足農>◇21日◇決勝

    大阪桐蔭の西谷浩一監督(48)が甲子園春夏通算7度目の優勝を飾り、PL学園・中村順司監督の6度を抜き、単独トップとなった。

    PL学園の存在が指導の原点だった。高校野球界の名門を倒さなければ、甲子園にはたどり着けない。「あと1球ストライクが入れば勝てるというところで、右打ちされて、気付けば、PLの校歌が流れているという試合が何回もあった。強さにしぶとさがあった。どうやったら、勝てるのだろう」。悩んだ日々があった。

    名将・中村監督との思い出がある。97年夏の大阪大会。準々決勝で大阪桐蔭はPL学園をサヨナラで下した。その試合直後、記者から「中村監督が呼んでいる」と声をかけられた。当時、西谷監督はコーチだった。敵将の言葉は思いも寄らなかった。「寮に帰って、選手(の気)を締めないといけない。浮ついた気持ちでいけば、絶対に負ける。これは監督ではなく、コーチがやらないといけないよ」。引き締めたつもりだったが、準決勝で履正社に敗れた。

    西谷監督は今でも思う。「試合に負けた後に、相手チームのコーチにそんなことを言えるかな、と。僕が逆の立場なら、絶対に言えない。負けて悔しいと思うところを」。監督に就任した後も「いいチームを作ったな」と折に触れて、中村監督に声をかけられた。「同じ学校の先輩のようなまなざしで言ってくれる。尊敬している監督の1人です」という。PL学園の野球部は休部となり、大阪桐蔭は史上初めて2度目の春夏連覇を成し遂げた。「(PL学園が)余計に神聖化されている。いつか追いつき、追い越したい気持ちがどこかにある」。今は見られない名門のユニホームを、まだ追いかけていた。

    8/21(火) 18:20
    日刊スポーツ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00306066-nksports-base

    恩返しの春夏連覇
    【大阪桐蔭・西谷監督が一番尊敬している指導者とは?】の続きを読む



    (出典 number.ismcdn.jp)



    1 しじみ ★ :2018/08/19(日) 17:40:01.81 ID:CAP_USER9.net

     近年の甲子園で、大阪桐蔭という学校は別格になった感がある。

     私は最近、少年硬式野球の取材をしているが、大阪のリトルシニアやボーイズ、ヤングの有望な野球少年に「高校はどこへ行きたい?」と聞くと、別の高校の名前をいくつか出すので「大阪桐蔭は?」と聞いたら、「あそこは無理無理」と大きく手を振って全否定したりする。

     大阪桐蔭は全国から選りすぐりの人材が集まる。しかも少数精鋭で部員数は3学年合わせて60数人だから、野球部に入るだけで大変なのだ。

     そして甲子園での応援も別格だ。別に音楽の専門家ではないが、聞こえてくる吹奏楽の音が違う。失礼ながら初出場の高校などと比べると、試合前にアルプススタンドから聞こえる音からして、はっきり差がついていたりする。

     今季、大阪桐蔭は春夏連覇がかかっている。大阪桐蔭は2012年に1度達成しているから2回目となる。これは史上初。

     100回を数える夏の甲子園、90回を数える春の甲子園で「春夏連覇」は7回しかない。育ち盛りの高校生は良くも悪くもどんどん変化していく。どんなに強いチームでも、その強さを1シーズン通して維持するのは至難の業だ。しかもトーナメントは失敗が許されない。

     春夏連覇はよほどの実力差があって、しかも運に恵まれないと難しい。

     7つの春夏連覇の戦績を見ていこう。

    <作新学院(栃木)>

    1962春2回戦○5-2久賀(山口)
    1962春準々△0-0八幡商(滋賀)延長18回引き分け
    1962春準々○2-0八幡商(滋賀)
    1962春準決勝○3-2松山商(愛媛)延長16回
    1962春決勝○1-0日大三(東京)

    1962夏1回戦○2-1気仙沼(東北・宮城)延長11回
    1962夏2回戦○7-0慶応(神奈川)
    1962夏準々○9-2岐阜商(三岐・岐阜)
    1962夏準決勝○2-0中京商(愛知)
    1962夏決勝○1-0久留米商(福岡)

     戦前は春夏連覇は一度もなし。最初の例は作新学院。大エースの八木沢荘六(のちロッテなど)が春の優勝投手だが、夏前に赤痢にかかったため夏は控え投手の加藤斌(中日)で連覇を果たす。エースが変わって連覇したのはこの一例だけ。

    唯一の公立校・箕島には石井毅がいた。
    <中京商(愛知)>

    1966春1回戦○5-2PL学園(大阪)
    1966春2回戦○6-5高鍋(宮崎)
    1966春準々○11-2米子東(鳥取)
    1966春準決勝○5-4宇部商(山口)延長15回
    1966春決勝○1-0土佐(高知)

    1966夏1回戦○2-0秋田(西奥羽・秋田)
    1966夏2回戦○5-4岡山東商(東中国・岡山)
    1966夏準々○4-2桐生(北関東・群馬)
    1966夏準決勝○2-1報徳学園(兵庫)
    1966夏決勝○3-1松山商(北四国・愛媛)

     エースは加藤英夫(近鉄)。サイドスローの技巧派投手だった。しかしプロでは2勝止まり。

    <箕島(和歌山)>

    1979春2回戦○10-4下関商(山口)
    1979春準々○5-1倉吉北(鳥取)
    1979春準決勝○4-3PL学園(大阪)延長10回
    1979春決勝○8-7浪商(大阪)

    1979夏2回戦○7-3札幌商(南北海道)
    1979夏3回戦○4-3星稜(石川)延長18回
    1979夏準々○4-1城西(東東京)
    1979夏準決勝○3-2横浜商(神奈川)
    1979夏決勝○4-3池田(徳島)

     ■唯一の公立高校の春夏連覇。エース石井毅(西武)は、夏3回戦の星稜戦では延長18回を1人で投げぬいた。

    <PL学園(大阪)>

    1987春1回戦○3-1西日本短大付(福岡)
    1987春2回戦○8-0広島商(広島)
    1987春準々○3-2帝京(東京)延長11回
    1987春準決勝○8-5東海大甲府(山梨)延長14回
    1987春決勝○7-1関東一(東京)

    1987夏1回戦○7-2中央(群馬)
    1987夏2回戦○7-2九州学院(熊本)
    1987夏3回戦○4-0高岡商(富山)
    1987夏準々○4-1習志野(千葉)
    1987夏準決勝○12-5帝京(東東京)
    1987夏決勝○5-2常総学院(茨城)

     PLは3年に野村弘樹(横浜)、橋本清(巨人)、立浪和義(中日)、片岡篤史(日ハム、阪神)、2年に宮本慎也(ヤクルト)らを擁し、先輩のKK(桑田真澄、清原和博)もできなかった春夏連覇を果たした。PLの全国制覇はこの年が最後。

    続きはソースで
    http://number.bunshun.jp/articles/-/831617

    確かに一人じゃきついよな
    【春夏連覇する高校の共通点とは ピッチャーの起用方法がカギだった】の続きを読む



    (出典 imgur.com)



    1 砂漠のマスカレード ★ :2018/08/16(木) 18:28:55.07 ID:CAP_USER9.net

    「ウエスタン、ソフトバンク-阪神」(15日、タマスタ筑後)

    阪神の藤浪晋太郎投手(24)が、ウエスタン・ソフトバンク戦(筑後)に先発。5回を投げて7安打3四球5失点(自責は4)と課題を残した。

    初回、先頭の川瀬に四球を与え、3番・コラスに中前適時打。二回は1死3塁のピンチから捕手・岡崎のパスボールで追加点。
    三回と四回は、毎回走者を出しつつも、粘投でスコアボードに0を刻んだが、五回だった。

    先頭のコラスに安打を許し、4番・グラシアルへの初球、スライダーが抜けて打者の背中付近へ。
    そこから3球連続ボールで四球を与え、5番・明石には150キロの直球を左中間へ運ばれた。その後自らの暴投でこの回3失点。
    直球の最速は155キロで、9つの三振を奪ったが、111球と球数を費やした。

    7月27日の2軍降格後、初の実戦登板となった8月4日の前回登板では、鳴尾浜での同戦で7回1失点。
    上々の再スタートかに思われたが、この日は3暴投で、打たれた安打は全て左打者。復活を目指す右腕にとって、悔いの残るマウンドとなった。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180815-00000119-dal-base
    8/15(水) 21:16配信

    https://baseball.yahoo.co.jp/npb/player/1200062/
    成績

    前スレ                    2018/08/15(水) 21:53
    https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1534337633/

    マジで放出あるぞ
    【阪神・藤浪が苦しんでいる 2軍での投球内容次第では…】の続きを読む

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