常勝ジャイアンツ&野球ニュース

昔から大好きなジャイアンツ(野球全般)を応援したくて開設したブログです。ジャイアンツ情報と気になる野球情報をお届けします。

    タグ:村田修一



    1 ひかり ★ :2018/09/09(日) 18:36:52.33 ID:CAP_USER9.net

    「BCリーグ、栃木8-8群馬」(9日、小山運動公園野球場)

     BCリーグ栃木の村田修一内野手(37)が、現役引退を正式表明した。

     今季最終戦となった群馬との一戦を終え、ファンにマイクであいさつ。セレモニーの途中から涙をこらえきれず、何度もほほをぬぐった。
    冒頭でBCリーグや栃木への感謝の思いを口にし、「今日をもって私は現役を…」と言うと声を詰まらせて、スタンドからも「言わないで」と
    声が飛んだ。そして、村田は「引退します」と表明した。

     小学校3年生から野球を始め30年間の野球生活を振り返り両親について「どんな時も車を出してくれた。そんな両親のもとで野球をできて
    幸せでした」と号泣。夫人や息子らのそれぞれの名前を挙げて「何より家族に感謝しています」と言葉に力を込めた。

     そして、「未練がないと言えばうそになりますが、30年間の野球人生に悔いはありません。人生はまだまだ終わりません」と、顔を上げた。

     この日の“引退試合”には村田の勇姿をひと目見ようと早朝からファンが駆けつけ、超満員となった。家族や恩師の大矢明彦氏もその勇姿を見守り、
    村田は「4番・三塁」でフル出場した。

     ノーヒットで迎えた七回の第4打席で強烈な中前打。「25」の入った黄色のボードを掲げたファンから、大歓声が沸き起こった。
    九回の第5打席は一ゴロに倒れ、5打数1安打だった。

     球場付近には、昨季までプレーした巨人の同僚から特大の“花看板”が届けられた。看板には「WE = SHU」(=はハート)と記され、
    巨人の阿部、菅野、坂本勇や杉内らの名前が記された。セレモニーでは巨人の元同僚や日本ハム・矢野や実松のメッセージも読まれた。

     村田は、昨オフに巨人を自由契約になり今年3月に栃木入り。NPB復帰を目指したが獲得意思を示す球団はなく、新規契約が可能な期間が前日
    7月31日に終了した。翌日の8月1日に会見を行い引退を示唆していた。

     NPBでは横浜(DeNA)、巨人でプレー。1953試合に出場し、打率・269、360本塁打、1123打点。BCリーグ栃木では
    60試合に出場し、打率・343、14本塁打、62打点だった。

    デイリースポーツ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180909-00000114-dal-base


    (出典 amd.c.yimg.jp)

    引退を表明し、涙を流した村田


    (出典 i.daily.jp)


    (出典 i.daily.jp)

    お疲れ様でした
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    1 砂漠のマスカレード ★ :2018/08/08(水) 19:19:35.38 ID:CAP_USER9.net

    「僕としては万全の準備をして待っていたが、かなわなかった。ただ、その2文字(引退)を、今日は使いたくない。
    ブレー*のために、最後まで野球します。けじめとして」

    独立リーグの栃木ゴールデンブレー*でプレーしながらNPB(日本プロ野球組織)復帰を目指していた村田修一内野手(37)が8月1日に記者会見し、こう語った。
    その前日がNPBの移籍期限だったが誘いはなく、今季中のNPB復帰がなくなったことを受けての言葉だ。
    スポーツマスコミは“美学”“けじめ”と好意的に報じ、「まだまだNPBでプレーできる」「頼れる方でした」という元同僚たちのコメントも読むと、
    なぜ?と思わずにいられない。メディアが伝える彼の評価と、オファーがない、という現実。

    そのギャップの理由を取材していくと、こんな証言に出合った。

    「仲が良かった記者たちは、村田が一言多い、という部分を書いていないですからね」(ベテラン記者)

    長く中心選手としてやっていると、自分のことだけでなくチームのことを考えるようになり、
    そこで村田は、このままじゃダメだ、という部分を口にするタイプだという。

    「自分はやっている、できる、という自負、自信があるから口にするわけです。
    それは大概、正論で、聞いている記者は、熱い奴だ、と評価する。
    だけどフロントや首脳陣からすれば自分たちへの批判なので、おもしろいわけがない」(同前)

    そんな選手が去年の10月に巨人を自由契約になったわけで、「その時点で今回の結果(オファーなし)は予測できた」(別のベテラン記者)という声もある。

    まだ十分に戦力だと思われる村田のような選手を手放すとき、普通は他球団にトレードの打診をするが、某球団関係者によると「打診はなかった」とか。

    「球界では訳あり物件と見なされ、“厄介者”とレッテルを貼られたようなもの。
    村田が巨人を自由契約になった時点で、すぐ声が掛かるだろうと思われたが……と報じた言葉がありましたが、あれは村田に対する気遣いですよ」(同前)

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180807-00000052-sasahi-base
    8/8(水) 16:00配信


    (出典 baseballking.jp)


    (出典 www.hochi.co.jp)


    あんまり好かれるタイプではなさそう
    【村田修一の引退について後輩の心境は?】の続きを読む



    1 ほニーテール ★ :2018/08/04(土) 11:24:15.74 ID:CAP_USER9.net

    「男・村田」が現役生活に事実上のピリオドを打つことになった。

    巨人や横浜ベイスターズで活躍し、現在はBCリーグ・栃木ゴールデンブレー*の村田修一内野手がNPB(日本野球機構)球団の支配下登録期限である
    7月31日までにオファーがかからなかったことで会見を開き、その無念の胸中を明かした。

    集まった報道陣を前に自身の今後について来季も現役を続行することは考えにくいものの、
    残りのシーズンは所属チームのために全力を注ぐ構えを貫いた上で
    「現段階では引退という言葉は使いたくない」と独特の言い回しとともに村田節を全開にした。

     ただ、村田自身が言うように来季もユニホームを着続けることは極めて厳しいだろう。
    一切のオファーがかかっていない苦しい状況下であるにもかかわらず、今オフになってから急に都合よく事態が好転し、
    セ・パ12球団の内のどこかからあらためてラブコールを送られるようになるとはやはりどうしても思えない。
    そうなれば11月に予定されている国内トライアウトを受けるか、
    あるいは一大決心してメジャーリーグの門を叩いてみるなどしかなく、いずれにしても現役続行はイバラの道だ。

    15年に渡るNPB球団での現役生活において村田は横浜時代に本塁打王のタイトルを2年連続で獲得し、
    2012年シーズンからの巨人移籍後も打撃はもちろんのこと正三塁手としてもゴールデングラブ賞やベストナインに輝き、投打に渡ってチームを牽引。
    しかし17年オフ、巨人側から若返りを図るチームの編成方針によって戦力外を通告され、自由契約となっていた。
    これだけ能力の高い選手が契約上では何のしがらみもなく手を差し伸べやすい条件となっていたはずなのに一体どうして“スルー”されてしまったのだろうか。誰しもが疑問を禁じえないだろう。

    声がかからないのは極めてミステリー

    一昨年の巨人時代は公式戦全試合に出場し、25本塁打、81打点、打率3割2厘をマーク。
    特に新人時代の03年から昨年まで15年連続で2ケタ本塁打を放っている長打力はダテではなく、
    今年38歳を迎えるとはいえまだまださび付く気配はない。
    そう考えれば、セ・パのどこの球団からもお声がかからないのは極めてミステリーだ。

    ネット上では村田のNPB移籍が実現しなかった理由について
    「性格に問題がある」とか「人望がなくチームの和を乱す」などというかなり無責任なコメントが飛び交っているが、それは違う。
    性格に問題があるどころか、どれだけ有名になっても鼻につく態度は決して取らず周囲に気配りもキチンとできる上、若手選手たちの模範になるような存在だった。

    すっかり忘れてしまったか、あるいはまったく知らない人もいるようだが、巨人時代に生え抜きではない“外様”としては史上初めてとなる選手会長に当時の原辰徳監督によって任命されたのも、
    後輩のチームメートから抜群の信頼を得ていたことが理由だった。

    退団した自らに代わり、チームの若手育成路線に乗って今季大きな成長を遂げた巨人・岡本和真内野手にも村田は律儀に“遺言”を残していた。
    その金言とともに自身の背番号25も受け継いだ岡本から今も感謝されているのは、男・村田の厚い人望を示す何よりの証拠でもある。

    Gの中心選手・坂本勇人内野手や長野久義外野手の「サカチョー」ともグアムで自主トレを行っていた昵懇(じっこん)の間柄。
    年上でかつてリーダーシップを取っていた阿部慎之助内野手とも、うまくやっていた。
    横浜時代もブレイク前の筒香嘉智外野手らから慕われ、彼ら若手とともに
    「村田軍団」なる一派を形成し、沖縄で自主トレを例年行っていたのはプロ野球関係者ならば多くの人が知っている。

    だが、どうやら村田に関しては皮肉なことにこの人望の厚さや信頼度の高さが、NPB復帰への“足かせ”となってしまったところもあったようだ。
    村田の獲得調査を水面下で進めかけていたパ・リーグ球団の関係者は「個人的な見解も含まれているが」と前置きした上で、次のように指摘した。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180803-00000030-zdn_mkt-bus_all
    8/3(金) 8:31配信


    (出典 www.hochi.co.jp)


    (出典 news.nifty.com)


    (出典 www.hochi.co.jp)


    ※前スレ
    http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1533319691/


    どうあがいても引退

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    (出典 mynews23.com)



    1 ほニーテール ★ :2018/08/02(木) 20:53:58.82 ID:CAP_USER9.net

    「自分の野球人生。選択してきたことに悔いはない」。BCリーグ・栃木でプレーする村田修一内野手(37)が1日、事実上今季限りでの現役引退を表明した。その言葉はすがすがしかったが、やはり納得はできない。実力的にやれることは、現役の選手たちも認めるところ。なのになぜ、こんな状況に追い込まれてしまったのか。

     各球団が一斉に「若返り」にかじを切ったことが、37歳のベテランには高いハードルとなった。だが今回の事態を招いたのは、やはり巨人の誤算、失策だったように思う。

     鹿取GMは自由契約を告げた直後に「彼ならまだ十分やれる。(残り135本に迫った)2000安打も打てる。ただチームの若返りを進める方針の下(巨人では)多く打席数を与えるのは難しい。村田君の選択肢を広げることが、せめてもの誠意と考えた」と説明した。つまり「どこかが手を挙げるだろう」との根拠のない見通しでクビを切ったということだ。

     チームに残せなくとも、事前に話し合いを重ねることは不可能だったか。他球団の編成が進む以前に交渉を真剣に持ちかけていたか。村田は請われて巨人へやってきた。3連覇に貢献した功労者だ。引き受け手が見当たらない可能性があるなら、放出を思いとどまる選択は取れなかったか。

     村田ほどの選手が、ここまで宙に浮くのは不自然。だから素性を知らない球界関係者やファンは「何か“裏”があるのでは」と踏んだ。こんな“風評”も、巨人には即座に否定してほしかった。「素行不良」で、外様初の巨人選手会長など務まらない。ネット上にあふれた臆測の数々は、村田の家族も苦しめた。彼は息子に「オレが見て傷つくようなものを、お前らが見なくていいんだ」と声をかけたという。

    「FAで巨人を選んだ以上は覚悟の上だろう」との声も聞く。だがアフターフォローができるのも、巨人の強みではなかったか。こんな末路では、今後は移籍に二の足を踏む他球団の選手も増えるだろう。

     もうひとつだけ、DeNA(村田在籍時は横浜ベイスターズ)とそのファンに対しても言いたい。村田が横浜に「砂をかけて出ていった」というのは違う。むしろ、ハマスタ最後の試合で出ていけとばかりに家族が乗り込む車へ「卵を投げつけた」のはベイスターズのファンの方だ。球団も勝利に飢えていた村田に希望の道筋を提示できなかった。当時、加地社長(故人)は「出るべきだ」と背中を押したほどだ。

     九州出身の村田は、今もハマスタからほど近くに自宅を構える。千客万来の港町。たとえ戦力と計算できなくとも、古巣だけには受け入れる度量を見せてほしかった。

    (09年横浜、10年~巨人担当・堀江祥天)
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180802-00000043-tospoweb-base


    巨人とDeNAは何してんだ
    【村田修一の「現役引退」にはあの球団の存在が】の続きを読む



    (出典 baseballchanneljp.akamaized.net)



    1 ひかり ★ :2018/08/02(木) 13:20:11.80 ID:CAP_USER9.net

     1日、昨オフに巨人を戦力外となったBCリーグ栃木の村田修一(37)が会見を行った。

     NPBからオファーがなく、今季限りでバットを置く意向を示唆したものの、会見では「引退」の2文字をかたくなに拒否。去就に関して判然としない
    答えが続いた後、こう切り出した。

    「みなさんは『引退』という言葉を聞きたいのか聞きたくないのか分かりませんけど、僕はきょうその2文字を使いたくない。きょうの時点で『引退をする』
    という発言はないです。その2文字は使わないですし、ここに来ているみなさんにも使ってほしくない」

     BCリーグはシーズン中。拾ってくれた栃木への礼儀を示した。

    「若返り」を理由に巨人をクビになったが、古巣にも未練はない。

     会見後、日刊ゲンダイが今季の巨人について聞くと、「全然見ていないですね。置かれたところで自分の野球をするのがベストなので、
    NPBにいたときから他の試合はあまり見ていないんです」と即答だった。

     会見中は「前に進まないと」という言葉を繰り返した村田。最後には「こうやってみなさん(報道陣)も会いに来てくれましたし、本当に幸せ者でした。
    サヨナラ」と言って笑わせ、車で会見場を後にした。

    日刊ゲンダイ
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180802-00000021-nkgendai-base

    (出典 amd.c.yimg.jp)


    お疲れ様でした
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