常勝ジャイアンツ&野球ニュース

昔から大好きなジャイアンツ(野球全般)を応援したくて開設したブログです。ジャイアンツ情報と気になる野球情報をお届けします。

    タグ:松坂世代



    1 ひかり ★ :2018/10/16(火) 18:15:10.95 ID:CAP_USER9.net

     楽天は16日、来季から新たにチームに加わる新任コーチ3名を発表。一軍打撃コーチに小谷野栄一氏、同じく一軍の外野守備走塁コーチに
    苫篠誠治氏、二軍打撃コーチには後藤武敏氏が就任することが決まった。

     3位からクライマックスシリーズ・ファイナルステージまで進出した昨季から一転、今季はリーグ最下位に低迷した楽天。序盤から思うような
    戦いができずに黒星を重ねると、シーズン途中には梨田昌孝監督が休養を発表。平石洋介監督代行がチームを指揮するも、最下位からの脱出は
    叶わなかった。

     来季は“代行”が外れ、平石監督が開幕からチームを率いることが決定。新たな一歩を踏み出すチームに、新たな力が加わる。なんと言っても、
    目玉は今季限りで現役を引退した小谷野、後藤両氏の入閣だろう。

     ともに現役生活にピリオドを打ったばかりで、それも小谷野はオリックス、後藤はDeNAと他球団でキャリアを終えたばかり。楽天の在籍歴がない
    2人の電撃加入とあって、ファンの間に大きな衝撃が走った。

     また、小谷野と後藤はともに1980年生まれのいわゆる“松坂世代”。平石新監督も同じく“松坂世代”であり、こちらもファンの間で大きな注目を
    集めている。

     なお、新コーチの就任と同時に、今季まで一軍の外野守備走塁コーチを務めていた清水雅治氏の退団も発表された。生まれ変わる新生・
    平石イーグルスから目が離せない。

    コーチ人事

    ▼ 就任
    83 小谷野栄一(一軍打撃コーチ)
    79 苫篠誠治(一軍外野守備走塁コーチ)
    93 後藤武敏(二軍打撃コーチ)

    ▼ 退団
    82 清水雅治(一軍外野守備走塁コーチ)

    BASEBALL KING

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181016-00169320-baseballk-base

    平石監督の一存かな?
    【楽天の新コーチ陣が話題に!! なんか面白そう】の続きを読む



    1 ひかり ★ :2018/09/22(土) 20:39:01.72 ID:CAP_USER9.net

     【セ・リーグ DeNA4―2中日 ( 2018年9月22日 横浜 )】 DeNAのG後藤武敏内野手(38)が22日、引退試合となる
    本拠地最終戦・中日25回戦に代打で出場。7回先頭打者として登場し、笠原と対戦。4球目のチェンジアップを強振し、空振りの三振に倒れた。

     球場には、家族、横浜高の恩師・渡辺元智前監督(73)らも観戦に訪れた。試合後の引退セレモニーでは
    「きょうまで必死にバットを振り続けた。松坂世代の一員でいられたことに感謝し、引退します」とあいさつ。横浜高で同期だった中日・松坂、
    DeNA・小池コーチから花束を受け取った。松坂は後藤の晴れ姿を見て男泣き。後藤が積み重ねてきたプロ16年間の功績を称えた。

     さらに松坂はDeNAのメンバーによる胴上げの輪にも加わり、後藤を祝福。後藤が親子でオープンカーに乗りスタンドの声援に応える際にも、
    最後までベンチから見送っていた。松坂は「(引退を)目にするのはつらい部分があった。でもこういう時期に引退の試合をやってもらって
    幸せ者だなと思う。16年間お疲れさまと伝えた」と話した。

     後藤は横浜高校時代に同期の松坂(現中日)らと甲子園春夏連覇を達成。法政大から2003年に西武入りし、12年にDeNAへ移籍したが、
    今季は1軍出場がなかった。通算618試合に出場して1226打数312安打打率・254、52本塁打、184打点。

    スポニチ
    https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2018/09/22/kiji/20180922s00001173288000c.html

    (出典 www.sponichi.co.jp)


    (出典 www.sponichi.co.jp)

    やっぱり思い入れはすごいよな
    【松坂が男泣き…松坂世代の同級生が引退】の続きを読む



    (出典 static.kanaloco.jp)



    1 すらいむ ★ :2018/09/13(木) 11:54:40.43 ID:CAP_USER9.net

    「松坂世代」NPB最多勝の杉内が引退 現役投手は7人、名球会入りは厳しいか

     3年間1軍での登板がなかった巨人、杉内俊哉が引退を表明した。
     右股関節、左肩に重い故障を抱え、リハビリを行う日々だったが、再びマウンドに立つことはかなわなかった。

     杉内は1980年度生れの「松坂世代」の1人。鹿児島実業卒。
     フラッグシップといわれる横浜高出身の松坂大輔とは、1998年夏の甲子園で対戦するなど、ライバルとして競い合った。

     松坂は1998年のドラフトでプロ入りしたが、杉内は三菱重工長崎を経て2001年のドラフトでダイエー入り。
     2005年には18勝で最多勝、防御率2.11でMVPにも輝いている。
     2012年に巨人入りし、4年間は活躍したが、ここ3年は1軍での登板はなかった。

     杉内は「松坂世代」ではNPB最多の142勝を挙げている。
     この世代からは50人の投手がプロ入りした。その成績を見ていこう。

    (以下略、続きはソースでご確認下さい)

    フルカウント 2018年9月13日 11時16分
    http://news.livedoor.com/article/detail/15299251/

    平石が監督だもんな
    【松坂世代が次々引退! しかし不名誉な記録も作ってしまう?】の続きを読む



    (出典 trend-trend-hothot.com)



    1 THE FURYφ ★ :2018/09/12(水) 20:02:06.79 ID:CAP_USER9.net

    巨人・杉内の引退発表を受け、中日の松坂大輔が12日、高校時代からしのぎを削ってきた同級生左腕への思いを語った。
    阪神戦を前に思い出が詰まった阪神甲子園球場で取材に応じた松坂は「高校時代に甲子園で対戦してから、ずっと強く
    意識してきた仲間。自分の中で最高のライバルだった」と振り返った。

    2人は20年前の夏、松坂を擁する横浜が春夏連覇した第80回全国高校選手権の2回戦で対戦。1回戦で無安打無得点試合を
    記録した鹿児島実の杉内と松坂は中盤まで互いに譲らなかったが、最後は松坂の本塁打もあって横浜が勝利した。

    卒業後はドラフト1位で西武に入団した松坂に対し、社会人野球を経てプロの道へ進んだ杉内。同じパ・リーグでともに
    切磋琢磨(せっさたくま)し、日本代表でも2000年シドニー五輪に出場し、06、09年のワールド・ベースボール・クラシックでは
    2連覇に貢献した。松坂は「同じ時代に杉内俊哉というピッチャーがいたから、僕は頑張ってくることができた」と、その存在の
    大きさを言い表した。

    引退記者会見を前に杉内と電話で話した松坂。「ありがとう。お疲れ様でした。僕はもう少し頑張るよ」と伝えると、杉内から
    「あと5年は投げてくれ」と伝えられたという。「松坂世代」と呼ばれた仲間の思いを受け、今季12年ぶりに日本球界で白星を
    挙げた松坂は「少しでも長く投げられたら」と現役続行に意欲を示した。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00000090-mai-base

    甲子園で対戦してるもんな
    【中日・松坂大輔がライバルと認めた男の花道を飾る?】の続きを読む



    1 湛然 ★ :2018/09/12(水) 05:35:28.01 ID:CAP_USER9.net

    9/12(水) 5:00 スポニチアネックス
    巨人・杉内 今季限り引退へ 負傷離脱して3年…「体、もう、限界でした」

     巨人・杉内俊哉投手(37)が今季限りで現役を引退することが11日、分かった。05年に沢村賞を獲得するなど、現役2位となる通算142勝をマークし一時代を築いた左腕だが、15年オフに手術した右股関節に加え、近年は左肩痛にも苦しめられた。17年間の現役生活を回想し、スポニチ本紙に独占手記を寄稿。背番号18のユニホームを脱ぎ、近日中に都内ホテルで会見を行う。

     17年間のプロ野球人生に別れを告げるときがきました。これまでの僕の野球人生に関わってくださったすべての方々に感謝しています。そして、どんなときでもたくさんのご声援をくださったファンの皆さま、本当にありがとうございました。折れそうな心を、何度も支えてくれました。

     引退の理由は体です。もう、限界でした。ホークス時代に痛め、じわじわと悪化していった右の股関節に、それをかばいながら投げていたことで左肩にも痛みが出ました。15年途中に1軍を離れてから、約3年間、1軍のマウンドを目指してきましたが、上がることはできませんでした。

     昨年のオフには、球団として支配下登録から外し育成選手として契約する選択肢もあったと思います。それでも、僕の背番号18への強いこだわりを理解し、支配下登録のままで復活することを待ち続けてくれました。周囲からの批判もあったと思います。マウンドで恩返しすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

     ホークスと巨人、2チーム、2つのリーグでプレーすることができました。両チームで日本一を達成しましたし、数多くの思い出があります。たくさんの出会いにも恵まれました。ホークスでは王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)の下で一緒に戦うことができました。巨人に移籍することを電話で報告した際に「巨人の野球を勉強してきなさい。頑張って」と快く送り出してくださった言葉は、今でも耳に残っています。

     巨人では長嶋茂雄終身名誉監督に投球を見ていただくことができました。移籍1年目のキャンプでブルペン投球を視察し「その背番号(18)でチームを引っ張ってくれ」と声を掛けてくださいました。体を触られ、声を掛けてくださったときには鳥肌が立ちました。日本球界の象徴である「ON」の下で野球をできたことは、僕の人生の誇りです。

     印象深いゲームは2つあります。ホークス時代の2010年9月25日に札幌ドームでダルビッシュと投げ合い、1―0で完封勝利を収めた試合。直前までふがいない投球が続いていたため、試合後に感極まって泣いてしまいました。そして巨人時代の2012年5月30日、交流戦の楽天戦で田中将大と投げ合い、東京ドームでノーヒットノーランを達成した試合です。両方の試合で素晴らしい投手と投げ合い、勝つことができたので、達成感は大きかったです。

     最後になりますが、家族がいなければ、ここまで続けることはできなかったと思います。改めて「ありがとう」と感謝の思いを伝えたいです。子供には、もう一度、マウンドで投げる姿を見せてあげたかったですが、次の夢、目標に向かっていく父親の姿を見せることができればいいなと思っています。(読売巨人軍投手・杉内 俊哉)

     ◆杉内 俊哉(すぎうち・としや)1980年(昭55)10月30日生まれ、福岡県出身の37歳。

    (以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)


    背番号18に手をかざし、見つめる杉内。今季限りでユニホームを脱ぐ決断をした(撮影・荻原 浩人)

    (出典 amd.c.yimg.jp)


    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180912-00000006-spnannex-base

    よく頑張りました
    【巨人・杉内がエースナンバーを託す男とは?】の続きを読む

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