■ソフトバンク – 日本ハム(24日・ヤフオクドーム)
日本ハムの清宮幸太郎内野手が、6号ソロを放った。24日、敵地ヤフオクドームでのソフトバンク戦。2点ビハインドの9回に1点差に詰め寄る一発を放った。
【動画】完ぺきにとらえてライトスタンド中段へ! 日本ハム・清宮、特大の6号アーチ!
敗色濃厚な9回、清宮が一矢報いるアーチを放った。9回2死。追い込まれてから、ソフトバンクの抑えを務める森の真ん中に入ったカットボールを完璧に捉えた。高々と舞い上がった打球は右翼スタンド中段へ飛び込むソロ本塁打。チームは敗れはしたものの、2試合連続零封負けを回避する一発となった。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180924-00212073-fullcount-base
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森元首相の発言に波紋 選手の覚悟を一番に考えてほしい
(出典 img.5ch.net)
森喜朗氏が私立強豪への野球留学でルール作り提案 “メンバーの半分以上を地元出身者に”
首都圏在住の秋田県出身者による「スポーツ・文化秋田応援の集い」(秋田ふるさと応援団主催)が
25日に都内で開かれ、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が来賓として講演した。
金足農ナインの活躍に触れ「選手が帰ってきても、募金がまだ集まっているというのが愉快。
これが本当の地方創生じゃないか」と称えた。私立強豪の“野球留学”にも触れ
「できれば(メンバーの)半分以上は地元の高校生にするという規定を作ってはどうか」と話した。
https://www.sponichi.co.jp/society/news/2018/08/26/kiji/20180825s00042000346000c.html
西武元監督の森祗晶氏が後輩を激励
西武元監督の森祗晶氏、辻監督ら教え子たちと談笑
2018年7月20日21時7分 日刊スポーツ
https://www.nikkansports.com/baseball/news/201807200000609.html
西武対楽天 試合前、記念撮影をする森氏(左)と辻監督(撮影・狩俣裕三)
(出典 www.nikkansports.com)
ピッチングセレモニーで、辻監督(手前)が捕手を務める中、投球をする森氏(撮影・狩俣裕三)
(出典 www.nikkansports.com)
西武監督時代の森氏
(出典 www.zakzak.co.jp)
<西武2-7楽天>◇20日◇メットライフドーム
西武元監督の森祗晶氏(81=日刊スポーツ評論家)が球場を訪れた。
「ライオンズフェスティバル」初日のゲストとして来場。始球式を務め、試合後はグラウンドでトークショーを行う。
試合前練習中のグラウンドに降り立ち、辻監督、田辺チームアドバイザー、楽天森山投手コーチら、かつての教え子たちと談笑した。
辻監督は「ピッチャーが大変だなあと言われたよ」と苦笑いで明かした。
森氏は86年から94年まで監督を務めた。9シーズンで8度のリーグ優勝、6度の日本一を達成。「黄金時代」の指揮官として、一時代を築いた。
西武大石が今シーズン初勝利 天国の恩師に感謝
【西武】大石、森コーチ一周忌に「慎二さんとの出会いがなければクビになっていた」
2018年6月26日6時0分 スポーツ報知
http://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180625-OHT1T50156.html
6月15日中日戦で今季初勝利を挙げた大石
(出典 www.hochi.co.jp)
17年6月30日、西武対オリックス 試合前、死去した森慎二コーチを追悼し、黙とうを捧げる西武大石達也(右)ら
(出典 www.nikkansports.com)
1997年10月19日、日本シリーズ・ヤクルト・西武・第2戦。好救援で7年ぶりのシリーズ新人勝利を挙げた森慎二さん
(出典 www.hochi.co.jp)
突然の急死からまもなく1年―。西武は28日、森慎二1軍投手コーチ(享年42)の一周忌を迎える。同日の試合には、ベンチとブルペンに背番号「89」のユニホームが掲げられることが、分かった。当時は主にブルペン担当として手腕を発揮していた。
2軍担当だった15年にファームで指導を受けていた“まな弟子”の大石達也投手(29)が、現在の心境を明かした。
―1年前を思い出すことは
「思い出すことはありますけど。それで落ち込む、しんみりするのも違うと思うので。やるしかないので。今は自分のことで必死です」
―亡くなられた時の気持ち
「最初は本当に信じられなかった。福岡でちょっと体調悪いから入院するとなって。そこから沖縄に行って、2、3日後だったので。その日は何も考えられなかった。ギンジ(炭谷)さんとメシに行こうと言われていたんですけど、今日は無理です、ということで。だいぶ時間はかかりました。自分の中で。部屋ではずっとボーッとしてました。寝られましたけど、寝付きはあまり…」
―自分の中で受け止められたのはいつ
「ちょっとして、追悼試合があって。けっこうたったかな。けっこうの間、マウンドに上がるたびに、泣きそうになっていました。追悼試合の時は、かなりやばかったです。泣きそうだったですけど、こらえて。投げ終わって、ベンチ裏で泣いちゃったりしました。その後もそういうのが続いて。気づいたら、何か落ち着いていました」
―森さんに教わったことで一番印象に残っていることや言葉
「いろいろありますけど。一番よく言われたのは、『投球で楽するな』『フォークは思い切り叩きつけろ』と。それが今も自分の中では、調子が悪いときとか、そういう言葉を思い出して。練習方法もいろいろやっていますね」
―14年は肩を痛めていて、コーチとの出会いは一つの転機
「13年はちょっと投げたか。14年に投げられず、今年クビになるかなと思っていたら、ならず。それで、慎二さんと会ったので。そこから状態もちょっとずつよくなった。その出会いがなければ同じようにズルズルいって。15年も1軍で3試合くらいしか投げていないですけど。自分の中ではちょっとずつ手応えはあった。それがなければ、15年、16年とズルズルいって、クビになっていたかなと思う」
―当時ファームではどんな指導を
「技術的にどうこうより、よくマンツーでトレーニング方法を教えもらった。ブルペンに行って、慎二さんがチューブを持って、僕が腰に巻いて。トレーニングのような体の使い方を体に染み込ませるトレーニングをずっとやっていました。(二人三脚で?)そうですね」
―どんな人柄だった
「本当に優しかった。いい兄貴分じゃないですけど。コーチなんですけど、コーチというより先輩。コーチというと一線あるんですけど。何でも聞ける人」
―28日にまたユニホームを掲げる。当日を迎える気持ち
「1年なんで。しっかり投げることがあれば、ちゃんと投げられているところを見せられたらいいと思います。(もう気持ちは乱れない?)ないと思います。その日になんないと、分からないですけど。今のところは大丈夫です」
―しっかり投げることが大事
「慎二さんがいたとしても、俺のことで、メソメソすんなと絶対、言われると思うので」
―秋にいい報告をできたらいい
「一番はけがしないこと。気をつけながらやりたい」