7月に発売された『清原和博 告白』(文藝春秋社)は10万部を超える大ヒットとなった。
印税が入ったことで、覚せい剤事件で執行猶予中の清原和博氏(51)の“銀座金満豪遊”が一部マスコミで報じられた。
清原は現役引退後、銀座の高級クラブに頻繁に通うようになった。6丁目のクラブ『R』の雇われママだったA子さんとの不倫が噂されてからは言動が粗暴になり、他のクラブからは出禁になった経緯がある。
「A子さんとの不倫を清算してからも、もはやどのクラブからも敬遠された。唯一、受け入れたのが7丁目のクラブ『B』だったんです」(銀座事情通)
清原は、『B』でヘルプについた元タレントでシングルマザーのM子さんに一目ぼれし、再婚を決意した。
「M子さんの父親にも会って、これからというときに、清原の前に現れたのが元タニマチで飲み仲間だったXです。彼は、かつて経営コンサルタントとして羽振りがよかったんですが、
コカイン不法所持と脱税で逮捕され、生活が困窮。そのXと'14年8月に再会し、シャブ仲間になって1億円を貸してしまったんです」(同)
しかし、Xは'15年2月に覚せい剤で再逮捕され、返済に窮した。Xは『B』で、清原に対し、「1億円の借金をチャラにしないと、シャブのことをマスコミにバラすぞ」と脅したとされる。
「清原は、これを拒否した。怒ったXは、裁判のための弁護士費用を工面するために、マスコミに清原の“シャブ中ネタ”を売り歩いたんです」(夕刊紙記者)
銀座の某クラブ関係者は、「Xはそろそろ刑期満了で出所する頃。清原は、Xと会う危険性のある銀座には来ませんよ」と言う。
8丁目のクラブのママも、
「逮捕前は頻繁に来てましたが、逮捕後は見たことがありませんね。目撃情報があれば、銀座の情報網で、すぐに分かりますからね。
どのクラブも清原さんにはいい印象を持ってませんから、来ても入れませんよ」
逮捕後、銀座から消えたM子さんと親しかった同僚ホステスは、2人の近況を次のように語っている。
M子は、清原さんに付きっ切りで糖尿病の治療と更生をサポートしています。完全な更生を確認出来たら結婚すると言ってます」
“心にぽっかりと空いた穴”を埋めることは容易ではないが、男清原の更生は必ずできると信じたい。
http://dailynewsonline.jp/article/1545578/
2018.10.21 21:00 週刊実話
(出典 amd.c.yimg.jp)
タグ:清原和博
清原和博の「職質」画像が公開!
10/14(日) 7:03配信
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20181014-00010002-friday-base
どや、見てくれたか? ワイの鍛え上げられた両腕、引退して10年経つとは思えん、たくましさやろ?
エ? 警察ハンは全然、筋肉を見てへんし、笑っとる場合ちゃうんやないかて? アホゥ、『FRIDAY』も、ワイのこういう凛々(りり)しい姿をやなぁ――。
かつての本誌人気企画『番長日記』なら、こう書いただろうか。それほど、今回入手した写真の清原和博(51)には、往時のパワーが漲(みなぎ)っていた。
9月のある夜、新宿・歌舞伎町で清原に職務質問をした新宿署員が、注射痕を発見。そのまま尿検査を受ける事態になったのは本誌既報の通り。
尿検査の結果は「シロ」だったが、「職質」「注射痕」「尿検査」という単語にメディアは色めきだった。折しも、清原の自叙伝『告白』がベストセラーとなっていた時期である。
〈気づけば、覚醒剤の打ち方っていうのを検索していることもあるんです〉
〈相変わらず薬物の欲求っていうのは突然、襲ってきます〉
などの赤裸々な告白が話題となっていただけに、本誌は「再犯」を心配したのだが――どうやら、杞憂(きゆう)に終わったようだ。清原本人が振り返る。
「あの日は2ヵ月に1度の糖尿病の治療と検診の日でした。新宿に行ったのは、自分を支援してくれている人が経営する焼き肉店があるから。そこで夕食をとろうとしたんです」
検診を終え、知人と新宿に向かった清原。歌舞伎町の駐車場に車を停め、徒歩で店を目指したのだが――秋風が吹く肌寒い夜に半ソデTシャツ姿で歩く坊主頭のイカつい男はさぞ、怪しく見えたのだろう。店に辿(たど)り着く前に、清原は新宿署員の職務質問に遭った。
「カバンの中身をあらためられ、身体検査などをされました。その際、腕に採血の痕が見つかり、警察官が『尿を取らしてほしい』と言うので、『糖尿病検査の際にできた注射痕だ』と説明しました。日付入りの血液検査結果と、処方された糖尿病の薬を見せました」
清原が「やってない!」とまくしたて、警察官とモメたという報道があったが、本人は「終始、冷静に対応しました」と言う。写真を見る限り、たしかに緊迫感はゼロだ。ちなみに尿検査終了後、警察とは円満に別れたという。
「薬物治療の病院にも通院しておりますし、尿検査もしています。いま、自分は一日一日、薬物依存からの回復に向けて努力しています」
終始神妙な清原。件(くだん)の写真が撮られた一瞬だけだったかもしれないが、「番長」はたしかにカムバックした。
(出典 amd.c.yimg.jp)
PHOTO:等々力純生
清原和博が重度のうつ病か? 原因は先日の職務質問で…
「せっかく前向きになってきたのに……」。そう残念がるのは球界関係者だ。2016年2月に覚醒剤取締法違反容疑で逮捕され、懲役2年6か月、執行猶予4年の有罪判決を受けた“球界の番長”こと清原和博が、再びドン底に逆戻りだ。
9月11日、東京・新宿歌舞伎町で警察官から職務質問を受け、そのまま任意の尿検査を行うハメになったのだ。社会部記者によると「同時期に記者クラブの間で『清原がヤバイ』『尿検査を受けたようだ』という話が出回り、各社裏取りに動きました」
21日発売の「フライデー」(講談社)によると、職務質問した警察官は清原の腕に注射痕があったのを見て、〝シャブ再犯〟を疑い、署に連行。任意と言いながらも半ば強制的に清原の尿を採取したという。
しかし結果は「シロ」。注射痕は持病の糖尿病治療の際に打っていたインシュリン注射の痕だった。当然、納得がいかないのは清原だ。
「行きつけの店に顔を出すために歌舞伎町にやって来たのに、警官からは『何しに来たんだ?』と、まるでシャブを買いに来たかのような言い方をされたそうです。尿検査の結果がシロだったのに、謝罪の言葉もなかったそうです」(社会部記者)
ブチ切れ寸前の清原だったが、しばらくすると、今度はひどく落ち込みだしたという。前出球界関係者の話。「薬物依存を断ち切ろうと頑張っているのに、誰も信じてくれない。警官からも“またやっている”と疑いの目で見られていることにショックを受けていました。あの落ち込みようは、誰かがそばにいないと危ないレベルです」
清原は以前からうつ病を患っており、精神安定剤と睡眠薬を常用。このところは症状も改善し、7月に自叙伝『告白』を出版し、8月にはテレビ番組で盟友・佐々木主浩氏とのキャッチボール姿を公開したり、夏の甲子園にも足を運んでいたが…。
「また自分の殻に閉じこもり、『どうせ俺なんか生きていてもしゃあないやろ』と自殺願望を口にしているそうです。水面下で進んでいた球界復帰計画もパー。本人がそういうことを考えられる精神状態ではないためです」(同)
清原は「文藝春秋」(2018年9月号)に寄せた独占告白で〈何も考えられず、表に出る気にもならず、頭に浮かぶのはただ「*こと」……。(中略)今はスマートフォンでいろんなものを検索できますから、死に方を探してみたり、飛び降り自*た人の写真を見たり、そういうことを自然としてしまうんです〉と吐露。もともと危うい下地があるだけに最悪の事態にならなければいいが……。
http://dailynewsonline.jp/article/1527617/
★1がたった時間:2018/09/26(水) 10:42:23.95
※前スレ
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1537926143/
清原和博氏がパトカーで連行された! 尿検査の結果は…
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清原和博氏「使ってない!」 歌舞伎町でパトカー連行目撃証言
酷暑から一転、秋の到来を感じる肌寒さが東京を包んだ9月11日。
新宿・歌舞伎町では長袖の通行人が目立つなか、半袖Tシャツ姿の坊主頭の大男が警察官と押し問答を繰り広げていた。
元プロ野球選手の清原和博氏(51)だ。
「現場は緊迫した空気が流れていました。職務質問を受けていたようで、清原は必死に“使ってない!”とまくしたてていましたが、パトカーに乗せられ、連れていかれました」(目撃者)
2016年2月に覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕され、同年5月に懲役2年6か月、執行猶予4年の有罪判決が下された。
あれから2年、清原氏は7月に自叙伝『告白』を出版し、8月にはテレビ番組で盟友・佐々木主浩氏(50)とのキャッチボール姿を公開。
夏の甲子園の決勝戦にも足を運んだ。
しかし、日常生活ではいまだ“後遺症”に悩まされているという。
清原氏に近い関係者が語る。
(以下略、続きはソースでご確認下さい)
NEWSポストセブン 2018年9月20日 18時0分
http://news.livedoor.com/article/detail/15334192/
清原和博が甲子園を見て感極まる 高校野球の監督をやりたい宣言も…
「中学生のときは、早稲田実業の荒木大輔さんや池田高校の水野雄仁さんの活躍を『すごいなあ』と思いながら、テレビ観戦していましたね。
生まれ育った岸和田からは、車で1時間半もあれば到着するのですが、PL学園の野球部に入部するまでは、甲子園球場ははるかかなたの、とても遠い場所でした」
100回めを迎えた2018年の夏の甲子園大会では、松井秀喜氏や太田幸司氏らが始球式を務め、多くの注目を集めた。
一方、高校球児が熱戦を繰り広げていた8月14日。甲子園歴代最多となる通算13本塁打を放った清原和博氏(51)は、都内のホテルで “聖地” への思いを淡々と語り始めた。
「母校のPL学園硬式野球部は(2016年に)休部になってしまい、もう甲子園でPLのユニホームを見られないのは残念です。
甲子園に出場したことで、僕の人生は180度がらりと変わった。大きな転機になった大会なので、やっぱり気になって、連日テレビで観戦していますよ。
高校球児の全力プレーを見ていて思うのは、悔いのないようにやってもらいたいということに尽きます。その後の人生を左右するものですから」
高校3年間、5季連続、春夏すべての大会に出場し、優勝2回、準優勝2回という好成績を収めたが、清原氏は「自分は悔いだらけだったが、3年の夏を最高のかたちで締めくくることができ、吹っ切れた」と語る。
「1年の夏に初めて出場して優勝したときのことなど、すべて印象に残っていますけど、やっぱり3年の夏が特に印象深いですね。
3回戦まで一本もホームランを打つことができなかったのですが、準々決勝で大会屈指の好投手といわれていた高知商の中山(裕章)から特大のホームランを打つことができた。
準決勝でも2本、決勝ではリードされている状況から2本の同点ホームラン。
僕は1年生から四番を打たせてもらっていましたが、四番としての仕事ができたのは、3年の夏の準々決勝から決勝までの3試合だったと思っています」
甲子園からプロ野球へと話題は変わる。清原氏は、2位以下に大差をつけて首位を独走する広島カープとの対戦を夢見るのだった。
「プロ野球はシーズン143試合、勝ち進めばクライマックス、日本シリーズと長丁場です。
それだけにモチベーションを維持するのが大変です。僕は大差で勝っていたり、もしくは負けている試合では、打席で集中できなくなるところがありました。
ところが、広島の選手は負けている試合でもモチベーションが高いという印象です。
逆転勝ちを何回もしているし、勝ち方を熟知している。もしもタイムスリップできるのなら、黄金時代の西武ライオンズの一員として対戦してみたいですね。
僕がいたときの西武は秋山(幸二)さんがいて、デストラーデもいましたが、投手王国で、ミスのない手堅い野球をするチームでした。
でも、今シーズンの西武は山川(穂高)くんや浅村(栄斗)くんなど、個性溢れる打者が並んでいて、強力打線が持ち味のチーム。今の西武とも対戦したいですね」
最後に「もし高校野球の監督になったら、どんなチームを作りたいか?」と問いかけてみた。
インタビュー中、終始緊張気味の清原氏だったが、清々しい表情を浮かべ、こう答えた。
「難しい質問ですね。高校時代は野球の実力がぐんと上がったり、停滞したり、選手にとって大事な時期なんでね。そのなかで、勝利を優先するのか、選手の育成を考えた指導をするのか。
いちばんいいのは両方だと思うのですが、僕は一人ひとりの選手の個性を潰さない、才能を伸ばしてあげられるような指導をすると思います」
「高校時代のライバルは?」の質問に、3年春のセンバツ準決勝で対戦した伊野商(高知)の渡辺智男の名を挙げた清原。
「まっすぐ一本で、バットに*ることなく三振を取られましたからね」
※自叙伝『清原和博 告白』発売中
(週刊FLASH 2018年9月4日)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180909-00010002-flash-ent
9/9(日) 11:01配信
(出典 Youtube)
ジャイアンツ 清原選手 応援歌