DeNAは31日、未成年の山本祐大捕手(19)が飲酒していた事実が発覚したとを公表した。
同日の阪神戦(甲子園)前、三原球団代表が明らかにした。
https://www.hochi.co.jp/baseball/npb/20180831-OHT1T50155.html
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元日本ハム選手が傷害の疑いで逮捕 その元選手とは?
愛知県警津島署は24日、ドラッグストアの男性店長(26)を殴ったとして、傷害の疑いで、同県東郷町、病院職員佐藤正尭容疑者(22)を逮捕した。関係者によると、佐藤容疑者はプロ野球日本ハムの元選手で、2015年に1シーズン在籍して退団した。
逮捕容疑は15日午後9時半ごろ、同県あま市のドラッグストア駐車場で、店長から無断駐車を注意されたことに憤慨し、顔を数回殴って2週間のけがを負わせた疑い。
閉店後に店長が無断駐車の車の写真を撮っていた際、車から佐藤容疑者が出てきて「なに写真を撮っているんだ」と言って殴ったという。
https://www.sanspo.com/geino/news/20180824/tro18082421200007-n1.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E8%97%A4%E6%AD%A3%E5%B0%AD
★1)2018/08/24(金) 22:55:44.84
前スレhttp://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1535118944/
清原和博が甲子園に帰ってきた! 決勝戦を観戦した感想は?
覚せい剤取締法違反で有罪判決を受け、現在執行猶予中の元プロ野球選手・清原和博氏が21日、大阪桐蔭と金足農の決勝戦が行われる甲子園球場に姿を見せた。
清原氏は試合開始約20分前に関係者席に着席。雑誌の取材で甲子園にやって来た。
清原氏は大阪・PL学園時代に桑田真澄氏とともに1年夏から3年夏まで5回甲子園に出場。1年夏、3年夏に優勝、2年の春夏は準優勝と、高校野球史に残る活躍を見せ「KKコンビ」として名を馳せた。清原氏個人としても、85年にに1大会5本塁打を記録するなど、“怪物”ぶりを発揮した。
清原氏は16年2月3日に覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕され、同年5月に懲役2年6月、執行猶予4年の有罪判決を言い渡されている。
8/21(火) 13:43配信 デイリースポーツ
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180821-00000061-dal-base
決勝戦の観戦に訪れた清原和博氏=甲子園(撮影・山口登)
(出典 amd.c.yimg.jp)
清原和博を支えた甲子園の存在 「自殺から踏みとどまった」
2018年8月9日 16時0分 文春オンライン
「あれから2年半、今もまだ、暗いトンネルの中にいるような感じです。それだけ薬物は恐ろしいもので、やめてからの方が壮絶なんだ、ということを今更ながら実感しています・・・・・・
僕がいま戦っているのは、薬物依存症とその治療にともなう、うつ病です」
(出典 image.news.livedoor.com)
使用している向精神薬の影響なのか、どこか視点の定まらない様子で、ゆっくりと言葉を探すように心境を明かしたのは、元・プロ野球選手の清原和博氏(50)だ。
2016年2月に覚せい剤取締法違反で逮捕され、5月に懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決。
この2年半は極力メディアへの出演を控えてきたが、第100回記念大会となる夏の甲子園開催中のいま『文藝春秋』9月号に、逮捕されてから今日に至るまでの日々を告白した「手記」を寄せた。
手記には、薬物依存症とうつ病に苦しむ現状に加え、先が見えずに何度も「自殺」を考えたことなど、衝撃的な事実が明かされている。
さらに清原氏は「今、薬物の誘惑に負けそうになった時には、逮捕されて留置場に入れられた時のことを、今までで一番辛かったあの時のことを思い出すようにしているんです」と語る。
自分が「清原和博」として生まれてきたことすら後悔した留置場での日々。
「あれを思えば、次(覚醒剤を)やったら、もう終わりだなという気持ち」になるのだという。
先の見えない日々が続く中で、今年5月には“33年ぶりの再会”があった。
85年夏の甲子園決勝、PL学園対宇部商戦で、劇的な連続ホームランを放った時に使っていた金属バットが清原氏のもとへ帰ってきたのだ。
もともとは甲子園歴史館に展示されていたものだが、覚せい剤事件の後に撤去。
その後、紆余曲折を経て本人の手に戻ってきた。
「バットが戻ってきた日、いろんな記憶がよみがえりました。こんな重いバットをあんなに軽々と振り回していたのかと、高校時代の自分に驚きました。
僕は今、筋肉が落ちてしまっていて力がないので、余計にそう感じたんだと思います」
そして清原氏はバットが戻ってきたその日からある目標を立て、現在はそこへ向かってある努力を続けているという。
清原氏の人生において、甲子園は特別大きな存在だ。この夏の大会に託す「夢」と、薬物との闘いの日々。
清原氏はそのすべてを「文藝春秋」9月号で明かした。
http://news.livedoor.com/article/detail/15135754/
2018年8月9日 16時0分 文春オンライン
金村義明氏が語る 清原氏の覚せい剤使用の兆候
デイリースポーツ
近鉄などで活躍した野球評論家の金村義明氏(54)が4日放送のカンテレのバラエティー「胸いっぱいサミット!」に出演し、プロ野球界の後輩、清原和博氏について「覚醒剤のウワサはあったが、だれも注意できなかった」と無念そうに語った。
2人は同じ関西出身。金村氏は近鉄、清原氏は西武と同じパ・リーグ球団に在籍していたこともあり、交友があったという。「西武時代も巨人へ行ってから最初のころも、すごく仲良かった」と話した。しかし「それから(2000年ごろ)どんどん変わっていった。握手したら僕の手を握りつぶそうとしたり。明るかったり落ち込んだりで、1日のうちに四季がある。ずっと付いていた親友が『わけが分かりません』と言ってた」と振り返った。
共演したタレント・東国原英夫が「そのころから覚醒剤のウワサはあった?」と尋ねると、金村氏は「あった」ときっぱり。東国原が「だれも注意しない?」と聞くと、金村氏は「注意できなかった」と答えた。そのウワサは「報道ではなく、現場でものすごく出ていた」と明かした。
人格が変わってしまったことについて「1年目からトッププレーヤーとしてちやほやされたでしょうし。莫大(ばくだい)な年俸もね。そして『裏切られた』というジャイアンツへ行ってから、どんどん変わっていった」と分析。そして「僕は先輩としていつも(清原氏を)怒っていたのは、運転手付きの車で移動していたこと。後部座席でふんぞり返って。それを見て、マネする後輩も出てきたから」と、持ち上げられ過ぎて感覚が変わってしまった清原氏をずっと気に掛けていたという。
http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15112158/
そこまで辛かったのか